当ブログでは筆者も投資をしているヘッジファンドについて詳しくお伝えしています。
欧米を中心に世界では1990年からヘッジファンドが浸透しはじめ、現在では全世界で350兆円もの資産がヘッジファンドによって運用されています。
日本でも話題になり始めたのは2009年のリーマンショックでヘッジファンドが素晴らし成績をおさめてからです。
しかし、そもそもヘッジファンドの興りとはいつなのでしょうか?本日はヘッジファンドの成り立ちについて纏めてみましたのでご覧いただければと思います。
初期のヘッジファンドについて
ヘッジと聞くと、皆さんが事業会社で勤務していらっしゃれば、
為替ヘッジやカントリーリスクヘッジ等を思いつくかと思います。しかし、そもそもヘッジというのは生垣という意味です。
よく高級そうな住宅の周りに木が、ぎっしりと立ち並んでいる木を見たことがあるかと思います。まさにあれです。車の衝突や侵入者を退ける垣根としての役割を果たしています。
これが転じて、危険をさけるという意味になり所謂ヘッジとして用いられるようになります。つまり直訳すると、ヘッジファンド=「危険を回避するファンド」ということになります。
元々はヘッジファンドは昔の富裕層が自らの資産を、戦争の度に発生するインフレや、国の財政難から強制的に資産を接収されるリスクを回避する為に投資の専門家集団に資産を預けたことが始まりです。
ですので、我々一般人が抱いているヘッジファンド=ハイリスク・ハイリターンで怪しいという一般的に醸成されている考えはそおそも間違いなのです。
ヘッジファンドのそもそもの成り立ちは資産を防衛し運用していこうという理念のもとに生み出されたものとなります。
最初にヘッジファンドといわれるものを生み出したのはA.W.ジョーンズ氏といわれています。
しかし、ベンジャミン・グレアムとジェリー・ニューマンによって富裕層から集めた資金を元に運用したグレアム=ニューマン・パートナーシップを初期のヘッジファンドであるとバフェットは言及しています。
ベンジャミン・グレアムといえば、バリュー投資家の父であり、バフェットの師でもあるという1900年代前半の投資界の絶対的スターです。
A.W.ジョーンズ氏は1949年に従来のバリュー株投資に売りから入る空売りという手法を組み合わせた1号ファンドというものを作り自らヘッジファンドという名称を作った人物です。
また彼は株式の買と空売りを組み合わせるだけでなく、株式が買われれば、債券が売られ、逆に株式が売られれば債権が売られるという逆相関の関係を利用し、
株式の売りと債権の買いといったような違うアセットクラスの間でも買と売を組み合わせて収益を追求しておりました。
1960年代になるとこのようなロング・ショート戦略が一世を風靡し、1960年代になると200以上のヘッジファンドが存在するまでに至りました。
2010年代後半になっても投資があまり浸透しない日本と比較するとアメリカは流石投資先進国という感じですね。
ジョージソロスとジュリアン・ロバートソン
1960年代になってくると皆さん一度は聞いたことはあるジョージソロスが登場します。ジョージソロスはジムロジャーと共にクォンタムファンドと呼ばれるヘッジファンドを創設しました。
クォンタムファンドに1970年に100万円を入れておけば、1980年には3400万円になっているという驚異的な実績をたたき出し名を馳せました。
よく売れるビートルズやOne Directionといった超有名バンドのように方向性の違いからジムロジャーズとジョージソロスは決裂しますが、その後もクォンタムファンドは継続していきました。
基本的な運用手法はロング・ショート戦略ですが、これをあらゆるアセットに対して行い、その慧眼から時に大きな賭けにでて莫大な利益を積み上げていきました。
最もよい例が英国の中央銀行であるBank of England(通称BoE)を相手に勝負を仕掛け、BoEを倒した男として彼を伝説へと昇華させた1992年の出来事はあまりにも有名です。
簡単に説明しますと、当時英国は現在のユーロの実現に向けてドイツのマルクに対して一定程度固定するシステムを取っていました。
然しこの固定レートがイギリスの経済の実態から考えて不当に高いものであると考えたソロスは1992年にBoEの為替介入に徹底的に対抗しました。
100億ドル相当のGBPを売り浴びせBoEの為替介入を崩し、GBPが大暴落し一夜で9億6000万ドル(日本円で1000億円)の利益を得た経済的事件です。
この事件が起こった9月15日を現在でもイギリスではBlack Wednesdayと呼んでいます。(因みにソロス自身はWhite Wednesdayと皮肉を込めて呼んでおります)
ソロスにとって市場とは常に適正価格を提示しているものではなく、不完全な知識を持った不完全な人間達により評価されているものとなっているのです。
適正価格として存在することは滅多にないという考えのもと割安であるものを買い、割高であるものを売るということを一貫して行い、連戦連勝を収めてきました。
分かっていても難しいものですが、根底にながれているのは投資家の父であるグレアムと似ているような気がします。
また1990年代には48歳でファンドを開始した、ジュリアロバートソンが1998年時点では2.2兆円を運用し、一世を風靡しました。
彼の投資手法はバリュー投資であり、会社の製品、マネージメントを含め会社自体を買う気持ちで株を買い1990年に年平均で25%もの利益を積み上げ(10年で9.4倍)当時最大のヘッジファンドとなりました。
1998年のロシア危機とその後の日本円の急騰で運用成績が悪化したことに加え、2000年代に新しく登場してきたIT銘柄等の新しい産業にたいする理解が薄く運用資金は6000億円程度まで減少しました。ここが引き際と考えたロバートソンはファンドを解散しました。
多角化することにより、本業が疎かになり廃業に追い込まれる会社があるのと同様に、軸がぶれてしまったことが原因の一端だと考えます。
然し、いくら解散したとはいえ彼の手元には1500億円が残り大富豪となりました。
近年の有名なヘッジファンド
2000年代に入ってからもヘッジファンドは拡大の一途を続けており、最近有名なものを簡単に説明していきます。
レイ・ダリオが率いるブリッジウォーターアソシエイツ
運用資産が17兆円に上り現時点で世界最大のファンドであり、
彼らの投資手法は過去に起こった事象を元に市場がどのように反応したかを分析し、法則を見つけた上で投資を決定するという手法を用いています。
サブプライムローンで600憶ドルを手に入れたジョン・ポールソン率いるポールソン・アンド・カンパニー
言わずとしれた映画マネーショートの実話となったのが彼のファンドですね。
そしてなんとFRB元議長である「根拠なき熱狂」で有名なアラン・グリーンスパンの友人であり彼はポールソンのファンドの顧問を現在も務めています。
ジョージ・ソロスと同じで、明らかに割高に評価されているものを売り込むという手法で巨万の富を手に入れた男です。
システムトレードをふんだんに取り入れたシモンズ率いるルネッサンス
数学者であるシモンズはシステムトレードにより常人には発見できない規則を発見し、それを元にトレードを行うことにより利益をえるという取引手法をとっています。
根本としてはシステムに各資産の価値の歪みをみつけ適正価値の方向に向けて売買を行うという意味ではロング・ショート戦略と根本的には同じ運用といえます。
彼は従来の手法により数学的な要素が加味されているファンドといえるでしょう。2015年度には最高のパフォーマンスを上げ、17億ドルもの利益をあげました。
その他にも有名なヘッジファンドはいろいろとありまが、あげればきりがないのでここらへんで切り上げます。
世界と日本の投資家の動向
最初にお伝えしました通り、ヘッジファンドはもともとリスクを回避する目的のものであり、市場環境によらず絶対的な収益を追求していくファンドです。
世界の富裕層がこぞって投資をしていることに加え、最近では世界規模の年金基金の機関投資家もオルタナティブ投資としてヘッジファンドに資金を入れて運用しているという状況となっております。
また上の項であげたようなヘッジファンドは最低投資額が1億をこすようなファンドばかりで超富裕層や機関投資家にのみ門戸を開いており、個人には門戸がひらかれておりません。
然し以下をみていただければわかる通り、日本の富裕層も徐々にヘッジファンドへの投資額を増やしております。今後もこの傾向は継続しヘッジファンドが身近に感じられる日が近づいてくることが予想されます。
(因みに現状は世界の100分の1くらいの規模で世界のGDPの8%くらいを日本のGDPが占めていることを考えるとまだまだ広まっていないとも言えます)
とはいえ、中々一般の方向けに販売しているようなヘッジファンドは少なく、普段目の届く場所にヘッジファンドにアクセスすることは容易ではありません。
とはいえ、近年は日本でも筆者が投資しているファンドを筆頭に素晴らしい成績を残しているファンドが台頭してきています。以下、日本人の投資家でも投資ができるヘッジファンドについて詳しくまとめていますので参考にしていただければと思います。